ここはアドニアの街外れ、小さな飯処。
先程の騒ぎの場所とは、反対側の区画に当たる。
…その騒ぎは彼にとって誤算だった。
情報収集の基本は根気の良い聞き込みと時間を惜しまないこと、
また目立った行為はなるべくしないこと。
ただでさえ他所者だ、嫌でも目立つからな。
……旅立つ前に、兄分である紫皇に説かれたことだった。
桜牙はある意味で隠密集団だ。あくまで冷静な行動を貫く、というのは頭領から教わったことでもあった。
「………いや、道を間違ったつもりはねェけどよ……」
不可抗力の失敗に再度溜息をつく。
注文した鮮やかな色の米料理をもくもくと平らげながら。
自分ではそんなに派手に立ち回った覚えはないが、あんなに人が集まってくるとは思わなかった。
大怪我させたつもりはないが、このことはすぐにでも広まるだろう。
初めて訪れた国だ、勝手は分からない。なんにせよ、早い内に出たほうが良いだろう。
「……この国の味付けもおもしれぇな…調味料がちげぇのか?なかなかうめぇ」
「おや、お兄さん異国の人かい?ありがとねぇ。よかったらまた来ておくれよ」
「ああ。ありがとう。」
愛想のよい女将に代金を渡し、立ち上がる。
ここで通貨も違うとか言う話にならなくてよかった。アカネさんが言っていたな、ウィンクルムは共通通貨だって。
暖簾をくぐろうとして、ふと立ち止まり、最後にと思い女将に尋ねた。
「なあ、女将さん。……『混沌』ってぇ病、聞いたことあるか?」
「え?コントン…?…ん~…いや~……悪いね、聞いたことはないね」
「そうか、悪かったな」
「変わった名前だね。難しい病なのかい?」
「ああ…まあ、そうだな」
純粋に心配そうな顔をする、目の際に皺が見える年代の女将。
その気持ちにふっと笑みが漏れ、風漢は努めて明るく言った。
「いや、たいしたことでもねぇんだ。悪いな、気にしねぇでくれや」
「ん~……」
何か考えている様子。記憶がないか、思い出そうとしてくれているのだろうか。
流石にこれ以上悩ませるのも悪いと思い、早々に立ち去ろうとした。すると---
「……もしかしたら、あの人なら知っているかもしれないねぇ」
「--え?」
振り返る。
女将は眉を八の字にしながら、自信なさげに呟いた。
「いやね。…近所の酒場にさ、何だか物凄い情報通がいるって話を聞いてさ。
…旅人のようで、風変わりな人らしいんだけど。…いやあたしもね、話をちらっと聞いただけだから…」
「---女将さん、その酒場、どこにある?」
この国での、恐らく最後の可能性。
まあそんなに期待はせず。礼を言い、教えられた場所に向かった。
「……でも、ほんとに変わった人だって言うよ…?気をつけてね」
親切な飯処の女将は。
最後にひとつ、風漢に送った。
「--いらっしゃい」
ぼそ、と店の主人はそう呟いて俺を迎えた。
さっきの飯処のある通りを西に、ふたつ先。
その角に、酒場はあった。
アドニアの明るく活発な城下の雰囲気とは違い、昼間なのにしんとしていた。
静かな音楽が流れ、いい年代の客が数名いるのみ。
1番青二才は自分だと一目でわかる。
いや…ひとりカウンター席に座る、明るい碧色の髪。
風貌はいくらも変わらないか---だが。
明らかに、空気がそこだけ違う。
間違いねえ。
情報通の旅人ってのは、…この男か。
俺がこの店に、一歩踏み込んだ瞬間に。
こいつは俺を意識した。
いや---「確信した」。
…ただの旅人じゃねぇな。油断できねぇ。
そして奴は、こちらを振り返らずに、口元を緩ませてこう言った。
「お主、……我に用があるのだろう?申してみよ」
腰の小太刀が、震えた気がした。
PR
この記事にコメントする