「…参ったな…」
部屋に戻るなり。大きなため息と供に、そんな言葉が漏れた。
それなりに飲んだ気はするが、酒気はすっかり醒めてしまっていた。
…そのくらい、揺さぶられた言葉だったのかもしれない。
頭の中に浮かんだ、---女性の顔。
それが…自分の”護る”べき、…ひと。
…ヴェイタ殿に告げることは憚られた、こと。
それを心を読まれたかのように突かれた。…そんな感じだった。
…シーリィン…様。
アドニアで、王に並び俺が忠誠を誓い、お守りする方だ。
それは今までも、これからも変わらない。
まして、こうして挙げるのは失礼だが--シーリィン様は女性でいらっしゃる。
きっとそう区別することは、…何よりの無礼であるとは理解しているが。
…やはり、この胸の内でそれが揺らぐことはない。
シリン様はけしてか弱い方ではない。
王の為に、この国の為に、ご自分にできる努力を怠らない、賢く強い方だ。
王も、シリン様を誰より頼もしく感じていらっしゃるに違いない。
だが--
…それでもやはり、…シーリィン様は女性なのだ。
俺が--お守りするべき、方。
…だが…それは、先程ヴェイタ殿が言っていた「意味」とは異なる。
…それくらい。俺だって。…解る………。
上着を脱ぎ、ベッドに腰をかける。
…音という音がなくなってしまったかのようだ。…頭が熱い。
枕元のランプの光だけが部屋の中を照らしている。
ゆらゆらとゆれている。…揺れているように、見える。
まさか。
…そんなはずはない。
俺が。
…俺如きが------
シーリィン様を…?
---ダ ン !!!---
「ッ…俺は何を…考えてる…!!」
…不意に沸き上がった激情を吐き出した瞬間、壁に拳を打ち付けていた。
--この時間だ。隣の同僚を起こしてしまったかもしれない。
だが…今の俺には、…気遣う余裕が、なかった。
「…くそ…」
何かの間違いだ。
そんな--恐れ多い感情を、寄りによって、寄りによって、
あの方に抱くなんて。
そんなはずは…ない。そんなはずはないんだ。
…俺は…
確かに、あの方を心からお守りしたいと思っている。
命を懸けてでも、あの方の行く道に付き従い、
アドニアの為に働きたいと思っている。
王と同じだ。
この国の為、恩恵ある王と、
その王女でいらっしゃるシーリィン様を。
…シーリィン様をお守りしたいのは…
そういうことなんだ。
それ以外の感情なんて…持ってはならない。
俺はただの、一家臣だ。
王の、大切な、大切なシーリィン様に---
それ以外の感情なんて---
「…王に…顔向け、できないじゃないか…」
ヴェイタ殿の言葉が…頭の中で鉛玉のような鈍い重さを持っている。
あの方の言う言葉に嘘はない。経験だと言っていたが、きっとそれは信じるに値する。
それだけは解る。
まだ、それが俺の中で真実であるかは、…まだ、わからないけれど。
…だからこそ信じたくない。そうではないと思いたい。
俺は…王に、王のおかげで今ここに在る。
王が認めて下さったから、俺という人間を認めて下さったから、
俺は今こうしていられる。
その大恩は、生涯お側で全力で働かせていただいても、
返しきれるかどうか判らない程のものだ。
それなのに。
それなのに---
俺が…『それ』を認めてしまったら。
俺は王に、最大の無礼を働くことになる。
それだけは-----御免だ…!!!
…シーリィン様にとっても…
彼女を困らせてしまうだけだ。迷惑だと言っていい。
ましてや、--見合いの席もきまっているというのに。
そんな不遜な感情なんて。
もし『そう』だとしたら。…気付かないでいたほうが。…よっぽど、いい。
まだ。
この感情が…
揺らめいているうちに。
…暗雲に隠れていた月が。
風に押し出され--姿を現した。
青白く、儚く染まっているように、見えた。