「…珍しいですね。ヴェイタ殿が飲みに誘って下さるとは」
「そりゃぁこっちの台詞だな。 お前がそれに乗っかってくれるとは、正直思ってなかった」
アドニアの空は、すでに黄昏の時間をとうに過ぎていた。
自分でも珍しいことになったという自覚はある。
「そりゃぁこっちの台詞だな。 お前がそれに乗っかってくれるとは、正直思ってなかった」
アドニアの空は、すでに黄昏の時間をとうに過ぎていた。
自分でも珍しいことになったという自覚はある。
巡回の時間に、偶然なのか出会ったヴェイタ殿に、
飲みに行かないかと誘われた。
偶然、今日は夕方までの巡回の後、時間が空いていた。
なんとなく、いつもなら丁重にお断りするのだが--
今日は、なんとなく。付き合えと言われた言葉に、二つ返事で同意した。
…たまにはゆっくり、酒を飲みたいと思っていたのかもしれない。
少し軽装に着替えてから、落ち合った。
ヴェイタ殿は、路地裏の小さな酒場に慣れた様子で入った。
少し暗い照明だが、色落ちしたガラスの甘い色が目にすぐ馴染んだ。
店主に軽く声をかけ、奥の席に座った。それに倣う。
客が入るには少し早い時間と見えた。
「…良い雰囲気の店ですね」
「ああ。昔にな、アドニアに初めて来た時に知った店だ。
その時はあまり長居できなかったんだが、 以来来る度に世話になってる。
良い情報屋もたまにいるみてぇでな」
「そう…なんですか」
あいつはたけぇけどな、と息を吐くように笑った。
難しい相手らしい。その困ったような笑い方に、つられて笑った。
ヴェイタ殿を困惑させるような情報屋か。一度会ってみたいものだ。
「アリオトは、酒はいける口か」
「うーん、そうですね…陛下を見ていただければ」
「ははっ!確かに。いけねぇとやってられねぇな」
「ええ。それなりには」
そう言いながら、ヴェイタ殿は辛口の酒を頼んだ。
東の国では、アドニアほど甘い酒はあまり無いようだ。
甘いものは嫌いではないとのことだが、やはりこの国の酒は多くは飲めないと見える。
俺もどちらかと言えば辛口の方が好みだ。
初めてだが、同じものを頼んだ。
…このような酒場で飲むのは久しぶりだ。
「ここの酒は、郷の味に似てるんだ」
「そうなのですか。」
「ああ。他ではあまり思い出せねぇから、結構重宝するな」
「…ヴェイタ殿は、郷には戻られないのですか」
「あー…まぁ、たまにな。用がありゃ帰るし。 今はいろいろ外のほうに用がある」
「そうですか……郷の頭領殿、は…何もおっしゃらないのですか?
人伝で申し訳ないが、ヴェイタ殿は郷でも重要な立場だと聞いています」
「ははは。そんなでもねぇよ?兄分が頭領をがっちり補佐してっからな。
俺自身は安心して外に出てられる。それに--」
「それに?」
「頭領の命だ。…『果たして』、生きて帰る。 それまでは--…『戻ら』ねぇ。」
…そう言ったヴェイタ殿は、強い眼差しと。…穏やかに笑んでいた。
信頼と忠義。…自分の持っているものとは、少し違うが--
同じ熱を感じた。
少し…喉元がうずく。
「お前はどうなんだ?」
「え?」
「相変わらず王には苦労させられてるんだろ?」
ヴェイタ殿は、肩肘をつきながら、苦笑いと取れる声色を出した。
…察してくれているらしい。その気持ちが染みて、自然と口元が緩むのを感じた。
「ははは。お気遣い痛み入ります」
「でもまぁ、ああいう御仁だからなぁ。仕方ねぇよな」
「くく、ええまぁ。でももう半分は諦めていますよ。
俺は、あの方のお守りを自分で望んだ訳ですから」
「一国の王のお守り、なぁ。お前も大変だな」
「いえ。それが俺に与えられた『命』ですから」
「…そうか」
ふ、と、ヴェイタ殿はまた先程とは違った笑みをもらした。
…この方は---
俺とは幾つも年は離れていないはずなのに。
何だろう。人としての重みというか…そういうものを感じる。
背負ったものの大きさというか…詳しくは知らないが… 敬意を払わずにはいられない。
自分の未熟さがいたたまれなくなるくらいに。
一体…この方はどうしてこんなにも強くいられるのだろう。
「…ヴェイタ殿は…」
「うん?」
「何故、そんなにも揺るぎなく前を見られるのですか」
「---」
「俺は…最近、自分がとても未熟だと感じます。鍛練の不足とも思います。
だが…それだけじゃない何かが、俺には足りない」
「…」
ふと、するりと今の安定しない内が言葉になった。
--この酒は、少しきつい気がする。…そう思うことにした。
「…情けない話なのですが…最近、何だか落ち着かないのです」
「……」
「普段なら感情を動かされないような取るに足らない言葉に…
何故か目に見えて動揺させられたり…」
「……あー…」
「あ、普通に体調がおかしいだけかもしれませんが」
「いやいやいやいや」
「え?」
「あ、…と…」
ヴェイタ殿の言葉も淀んだ。
何だろう?俺の様子がおかしかったからだろうか。
少し、宙を見やるように視線をあげてから。 …もう一度こちらに向き直した。
「…嬢ちゃんの読みが当りだな」
「読み?」
「いや、気にすんな。こっちの話だ。
…アリオト、俺は芝居はうまくねぇ。だから正直に言うぜ」
「あ、…はい」
「さっき、お前、街の女二人組に何か話し掛けられて、茹で上がってたろ」
「~~~あ…」
「偶然とは言え、悪かった。
決まりが悪いのも分かるが、ちょっと気になってな。
…お前、何言われたんだ?」
「……」
「さっきの『取るに足らない言葉』ってのは、それなんだろ?」
「……はい……」
-----騎士として、男として。こんなにも恥ずべきことはない。
…だが…---俺は、ヴェイタ殿に従った。
恐らく…他の誰にも、打ち明けられはしないと、感じたから。
「…その」
「うん」
「…その方に…『交際している方はいないのか』と…」
「…おー…」
「………すみません」
「や、謝るようなことじゃねぇだろ」
「……いえ、何となく…不甲斐なくて」
「なるほどなぁ」
「…弁解しているようで申し訳ないのですが」
「ああ」
「…普段なら…少なくとも感情を表に出すまではいかない…と」
「そうだな。…お前ならきっとそうだ」
「…ですが…何故か……その……」
「……」
…さすがに。この先は言うのは憚られた。
いくらヴェイタ殿とは言え----まさか。
…あの方の顔が、よぎっただなんて。
……何故よぎったかは分からないが。
ここであの方の名を出すなんて。
--無礼の極みだ。
「…お前」
「はい?」
「とりあえず潔癖なんだろ?」
「は?」
「つまり、親密な女はいねぇ、と」
「あ、はい」
「想ってる女もいねぇのか」
「…ん…と、そうですね。はい」
「………」
「………」
「…うん、とりあえずは良しとする」
「はい?」
「ああ、まぁ気にするな」
「はあ…」
そこで、ヴェイタ殿は一旦言葉を切った。
そして、グラスに残っていた酒を一気に空けると、
大きく息を吐いて、ぼそりと呟いた。
「…俺の話で悪いが」
「いえ。…はい」
「…俺は。強くなんざ、ねぇんだ」
「え?」
「…俺が強く見えるとしたら。…そう俺にさせてる奴がいるってことだ」
「……」
「俺に限らず。
…人は護るべきものがあれば、それだけがむしゃらになる」
「…はい」
「まぁ、全てそうだなんて言う気はねぇが。…俺の場合はそうだ」
「…」
「俺の護るべきもの。…郷の連中。…外で出会った仲間。…それに」
「…家族だ」
一呼吸置いて。ヴェイタ殿はそう言った。
飲みに行かないかと誘われた。
偶然、今日は夕方までの巡回の後、時間が空いていた。
なんとなく、いつもなら丁重にお断りするのだが--
今日は、なんとなく。付き合えと言われた言葉に、二つ返事で同意した。
…たまにはゆっくり、酒を飲みたいと思っていたのかもしれない。
少し軽装に着替えてから、落ち合った。
ヴェイタ殿は、路地裏の小さな酒場に慣れた様子で入った。
少し暗い照明だが、色落ちしたガラスの甘い色が目にすぐ馴染んだ。
店主に軽く声をかけ、奥の席に座った。それに倣う。
客が入るには少し早い時間と見えた。
「…良い雰囲気の店ですね」
「ああ。昔にな、アドニアに初めて来た時に知った店だ。
その時はあまり長居できなかったんだが、 以来来る度に世話になってる。
良い情報屋もたまにいるみてぇでな」
「そう…なんですか」
あいつはたけぇけどな、と息を吐くように笑った。
難しい相手らしい。その困ったような笑い方に、つられて笑った。
ヴェイタ殿を困惑させるような情報屋か。一度会ってみたいものだ。
「アリオトは、酒はいける口か」
「うーん、そうですね…陛下を見ていただければ」
「ははっ!確かに。いけねぇとやってられねぇな」
「ええ。それなりには」
そう言いながら、ヴェイタ殿は辛口の酒を頼んだ。
東の国では、アドニアほど甘い酒はあまり無いようだ。
甘いものは嫌いではないとのことだが、やはりこの国の酒は多くは飲めないと見える。
俺もどちらかと言えば辛口の方が好みだ。
初めてだが、同じものを頼んだ。
…このような酒場で飲むのは久しぶりだ。
「ここの酒は、郷の味に似てるんだ」
「そうなのですか。」
「ああ。他ではあまり思い出せねぇから、結構重宝するな」
「…ヴェイタ殿は、郷には戻られないのですか」
「あー…まぁ、たまにな。用がありゃ帰るし。 今はいろいろ外のほうに用がある」
「そうですか……郷の頭領殿、は…何もおっしゃらないのですか?
人伝で申し訳ないが、ヴェイタ殿は郷でも重要な立場だと聞いています」
「ははは。そんなでもねぇよ?兄分が頭領をがっちり補佐してっからな。
俺自身は安心して外に出てられる。それに--」
「それに?」
「頭領の命だ。…『果たして』、生きて帰る。 それまでは--…『戻ら』ねぇ。」
…そう言ったヴェイタ殿は、強い眼差しと。…穏やかに笑んでいた。
信頼と忠義。…自分の持っているものとは、少し違うが--
同じ熱を感じた。
少し…喉元がうずく。
「お前はどうなんだ?」
「え?」
「相変わらず王には苦労させられてるんだろ?」
ヴェイタ殿は、肩肘をつきながら、苦笑いと取れる声色を出した。
…察してくれているらしい。その気持ちが染みて、自然と口元が緩むのを感じた。
「ははは。お気遣い痛み入ります」
「でもまぁ、ああいう御仁だからなぁ。仕方ねぇよな」
「くく、ええまぁ。でももう半分は諦めていますよ。
俺は、あの方のお守りを自分で望んだ訳ですから」
「一国の王のお守り、なぁ。お前も大変だな」
「いえ。それが俺に与えられた『命』ですから」
「…そうか」
ふ、と、ヴェイタ殿はまた先程とは違った笑みをもらした。
…この方は---
俺とは幾つも年は離れていないはずなのに。
何だろう。人としての重みというか…そういうものを感じる。
背負ったものの大きさというか…詳しくは知らないが… 敬意を払わずにはいられない。
自分の未熟さがいたたまれなくなるくらいに。
一体…この方はどうしてこんなにも強くいられるのだろう。
「…ヴェイタ殿は…」
「うん?」
「何故、そんなにも揺るぎなく前を見られるのですか」
「---」
「俺は…最近、自分がとても未熟だと感じます。鍛練の不足とも思います。
だが…それだけじゃない何かが、俺には足りない」
「…」
ふと、するりと今の安定しない内が言葉になった。
--この酒は、少しきつい気がする。…そう思うことにした。
「…情けない話なのですが…最近、何だか落ち着かないのです」
「……」
「普段なら感情を動かされないような取るに足らない言葉に…
何故か目に見えて動揺させられたり…」
「……あー…」
「あ、普通に体調がおかしいだけかもしれませんが」
「いやいやいやいや」
「え?」
「あ、…と…」
ヴェイタ殿の言葉も淀んだ。
何だろう?俺の様子がおかしかったからだろうか。
少し、宙を見やるように視線をあげてから。 …もう一度こちらに向き直した。
「…嬢ちゃんの読みが当りだな」
「読み?」
「いや、気にすんな。こっちの話だ。
…アリオト、俺は芝居はうまくねぇ。だから正直に言うぜ」
「あ、…はい」
「さっき、お前、街の女二人組に何か話し掛けられて、茹で上がってたろ」
「~~~あ…」
「偶然とは言え、悪かった。
決まりが悪いのも分かるが、ちょっと気になってな。
…お前、何言われたんだ?」
「……」
「さっきの『取るに足らない言葉』ってのは、それなんだろ?」
「……はい……」
-----騎士として、男として。こんなにも恥ずべきことはない。
…だが…---俺は、ヴェイタ殿に従った。
恐らく…他の誰にも、打ち明けられはしないと、感じたから。
「…その」
「うん」
「…その方に…『交際している方はいないのか』と…」
「…おー…」
「………すみません」
「や、謝るようなことじゃねぇだろ」
「……いえ、何となく…不甲斐なくて」
「なるほどなぁ」
「…弁解しているようで申し訳ないのですが」
「ああ」
「…普段なら…少なくとも感情を表に出すまではいかない…と」
「そうだな。…お前ならきっとそうだ」
「…ですが…何故か……その……」
「……」
…さすがに。この先は言うのは憚られた。
いくらヴェイタ殿とは言え----まさか。
…あの方の顔が、よぎっただなんて。
……何故よぎったかは分からないが。
ここであの方の名を出すなんて。
--無礼の極みだ。
「…お前」
「はい?」
「とりあえず潔癖なんだろ?」
「は?」
「つまり、親密な女はいねぇ、と」
「あ、はい」
「想ってる女もいねぇのか」
「…ん…と、そうですね。はい」
「………」
「………」
「…うん、とりあえずは良しとする」
「はい?」
「ああ、まぁ気にするな」
「はあ…」
そこで、ヴェイタ殿は一旦言葉を切った。
そして、グラスに残っていた酒を一気に空けると、
大きく息を吐いて、ぼそりと呟いた。
「…俺の話で悪いが」
「いえ。…はい」
「…俺は。強くなんざ、ねぇんだ」
「え?」
「…俺が強く見えるとしたら。…そう俺にさせてる奴がいるってことだ」
「……」
「俺に限らず。
…人は護るべきものがあれば、それだけがむしゃらになる」
「…はい」
「まぁ、全てそうだなんて言う気はねぇが。…俺の場合はそうだ」
「…」
「俺の護るべきもの。…郷の連中。…外で出会った仲間。…それに」
「…家族だ」
一呼吸置いて。ヴェイタ殿はそう言った。
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